丹足は2013年、ハラ研究家である三宅弘晃(みやけひろあき)によって創始された癒しの鍛錬法です。
古くは葛飾北斎の漫画にも登場する「足による踏みほぐし」。その行為は「足力(そくりき)」から「足圧(そくあつ)」へと名前を変え現代に脈々とその技法が伝わってきました。やがて時代は平成となり、足で踏む「足圧」は、おなか(丹田)で踏む「丹足」へと進化を遂げ、その技法は「丹足法」として確立されました。日本文化の流れを汲みつつ、現代の運動理論を組み込んで生まれた「丹足法」の由来について解説します。
四股といえば相撲ですが、相撲の起こりは大地を踏み固める神事であったとも、古事記や日本書紀にある力比べの神話にあるとも言われます。思えば日本人にとって、いえ日本人に限らずあらゆる人間、動物にとって「大地を踏みしめる」という行為は、この世に生れ落ちてまず初めに挑戦する己の肉体への挑戦なのかもしれません。大地を踏みしめ体を立てる、そこからすべての行動が始まります。とりわけ稲作文化を発展させ、水田に足を踏み入れ米を作ってきた我々日本人の体には、大地を踏みしめる力が育って来ました。その文化的表現として相撲があり、四股は相撲の中で基本中の基本として今日に伝わります。
現代日本の暮らしの中で、腰を落として仕事をしたり家事をする機会があるでしょうか。運搬業などの一部の業種を除き、生活の中で腰を落として働く機会は失われつつあります。それはなぜか?・・・といえば、単純明快につらい運動だからです。しゃがんで床を雑巾がけするよりも、立って掃除機を使うほうが楽。足を開いて和式トイレで頑張るよりも、洋式トイレに座って用を足すほうが楽。楽な方、楽な方へと暮らしを変えていく中で、腰を落とすという機会は激減しています。
腰を落とすことを忘れた我々の体は、どう変化をしたのでしょか。腰を落とす。両太ももを大きく開いて、両足の間のハラを中心として姿勢を支える。このようにハラで両足の開きを支え、全身を支え、運動を支えるという体の使い方ができなくなっているのです。
丹田(たんでん)という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。古くから東洋文化の中で使われてきた概念をあらわす言葉で、ハラの中心、ひいては体と心の全体の中心と理解することもできます。丹足という名前は、この丹田から来ています。足を開いてハラで体をささえる四股の動きはそのまま丹足の動きに重なります。腰をつかうのではなく、腹筋や背筋などの表面筋に頼るのでもなく、ハラで体を支え、内モモでパワーを作り、運動を制御するのが丹足です。その中心には丹田が常に存在しています。
丹田という言葉はかろうじて現代にまで伝わっていますが、その存在と活用についての文化はほぼ途絶えたようにさえ見えます。丹足法を生み出したのは、ハラ研究家であるわごいちの三宅弘晃。暮らしが西洋化するなかで急速に衰えつつある日本のハラ文化を再興し、未来に継承していくことをライフワークとする中で、誰にでも実践できてかつ人のためにも使える「丹足法」が産まれたのです。
触れ合いという言葉があります。文字通り、触れて触れられることです。人は本当は触れられることが好きなのだと思います。もちろん犬や猫だって触れられることが大好きです。ただそっと背中に手を当てる、頑張ってねと手を握る、大好きだよとぎゅっと抱きしめる。そういう触れ合いの瞬間に、人は理屈を超えた気持ちよさを感じるのではないでしょうか。
私は2001年からハラ揉みの仕事をしています。毎日沢山の人に触れています。仕事に疲れた顔でやってきた人も、ゆっくりじっくり触れていると血色がよくなり、表情がゆるんでくるものです。帰りは決まって笑顔で「ありがとうございました」と言ってくれます。触れる効力は、やはり絶大です。
そんなハラ揉みの日々の中から産まれた「丹足法(たんそくほう)」。丹田と足を合わせて丹足。触れるのは足の裏だけですが、ハラから相手に触れるつもりで踏みます。互いに踏み合います。互いに相手を思って、全身全霊で踏み合う時何が起こるか。どんな変化が生まれるか。そういう人たちが増えていったときに、社会がどう変わるか。
私は丹足こそ人生をかけるに値するものだと思って人に伝えています。
一般社団法人 丹足普及協会・千照館
監事 兼 師範 三宅弘晃
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