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師範コラムvol.2 段位と品位

散りゆく秋の葉の名残を感じさせる横綱日馬富士の引退劇でした。

絡み合う背景の内実を知る由もありませんが、表立った理由を探せばそれは「横綱の品位」が問われたのだと思います。時折耳にする「横綱の品位」、あの朝青龍の時もよく耳にしましたが、この品位とは一体何なのか、どういうものなのか、今日は皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

実は私は大相撲が大好きで、好きというだけではなく身体運動および体質改善の研究対象として非常に関心をもっています。本場所も何度か足を運びましたし、春場所の時には毎年のように「中村部屋」や「高砂部屋」の稽古を見学に行きました。引き合わせて下さる方がいて、振る舞いのちゃんこ鍋をつつきながら、中村親方から相撲部屋の裏話などを親しく聞かせて頂きました。土俵の舞台裏である相撲部屋の世界は誠に奥深く、日本文化が凝縮された場のようにも感じました。私はそこに随分と魅せられ、学びを得、結果として我々千照館道場にも大きな影響を与えています。

 

 この相撲の世界でとりわけ象徴的なのが「番付」という制度です。ご存知の通り、上は横綱から下は序の口まで、相撲協会に属する全ての力士はこの番付によって地位が定められています。番付は土俵上の勝ち負けにより毎場所変動します。また番付はそのまま力士の待遇にも直結しています。ですから力士たちも気を抜くことはできません。彼らの心の真ん中には、おそらく番付がどーんと居座っていることと思います。

 

 相撲の世界ではこの番付が全て、といっても良いくらいに重要度を占めますが、もちろんそれだけではありません。番付が上であれば何をしてもいい、というわけではありません。力士は番付の他に「品位」もまた常に問われています。

 

 品位とは日常の言動などからにじみ出る雰囲気とここでは解釈しますが、彼ら力士は、番付に応じた品位が問われています。今回の暴行事件を序の口の力士がおこしたとしても、おそらく引退とはならなかったでしょう。(刑事事件となれば別ですが。)番付最高位の横綱としての品位を問われ、日馬富士は引退せざるを得なかったのです。いわば番付と品位はリンクしていると理解できます。まず番付があり、番付が上がるにつれて品位のレベルもまた上がっていく、そのような世界のようです。

 

 このように見ると、相撲などの実力勝負の世界、あるいは日本の伝統文化の世界はある種特殊で興味深いものです。一般社会、例えば会社組織や役所組織などとは全く違う論理で動いています。会社や役所では実力が第一とは言い切れません。役所ではキャリアつまり勤続年数が重要な昇進の条件となります。会社ではキャリアに加えて人物評価の要素も加わります。上の人間に可愛がられていたり、有力者の派閥に属して居たり、周囲の評判がいいなど、その人に対する人物評価が出世の大きな条件になります。少々極端な言い方になりますが、役所や会社の世界では、キャリアと人物評価が問われて役職が決まりますが、相撲の世界では、実力によってのみ番付が定まり、人物評価に該当する品位は番付に応じて後付けで問われます。このような一般社会とは全く違う論理によって、相撲の世界は動いているのです。 

 

 さてそれでは我々の道場はどうでしょうか。会社や役所の論理で動いているのでしょうか。それとも相撲のような日本文化の論理で動いているのでしょうか。答えはもちろん後者です。10年稽古に通えば段位が自然に上がる訳ではなく、人気者だから段位が上がるわけでもない。あくまでも「丹足をどれだけ上手く踏めるか」という実力によってのみ段位があがっていきます。すごく単純に言えば「丹足が上手い人が偉い!」というのが道場の世界なのです。

 

 「丹足が上手い人が偉い」こう書くとあまりに乱暴な気もします。しかしそこには確かな根拠があります。例えば丹足の段級試験には6級の壁というものがありますが、この壁を越えて5級になるためには継続的な四股踏みが欠かせません。我々は百丹と言っていますが、毎日欠かさず四股踏みを100回できるかどうか、そこが勝負の分かれ目になります。心の甘えに打ち勝ち努力できる人が6級の壁を乗り越え、5級4級へと段位を上げていきます。つまり「丹足が上手い人」は自分を律することができる人なのです。

 

 また丹足は踏み手の人間性が如実に現れます。傲慢な人は自分本位な踏みになります。自分に甘い人は踏みも鈍くなります。ですから自分の丹足を上達させる為には、自己改革が必要になってくるのです。相手をおもいやり、相手に寄り添える自己を少しづつ作り上げていく。その成果が段位に反映されます。

 

 ですから道場では「段位」こそが自分の身分証明となります。道場は会社やお役所の論理に縛られなくていいのです。ただ純粋に丹錬をし、真っ直ぐに自分を高めることに没頭すればいいのです。そして一つずつ上の段位を目指していけばいいのです。道場における段位は、品位も内包した「絶対的な身分証明書」となって、皆さんの中で確かな自信となってくれることでしょう。

 

 この原稿を書いている今日は12月2日。明日は段級試験です。道場生の皆さんがこのコラムを読まれるのは試験が終わってからになると思いますが、皆さんの意識の中で「段位の重み」についてまた新たな認識が芽生えれば幸いです。第2回段級試験のご健闘を祈ります。