正式な免状
12月9日の師範稽古の後、丹足の免状授与を行いました。
実は私の人生において「免状」を授与するのは今回が初めてです。わごいちのスタッフに免状を与えたことはなく、三宅式整体塾の最終日には「終了証」だけ授与しました。一般社団法人化する前の旧千照館では「仮免状」を授与しました。
今回は初の「正式な免状」です。
思うに免状を授与するには、その免状の対象物の品質が安定し、かつその判断基準が明確かつ公正に運用されることが条件となります。私は2001年にこの世界に入っていますから、17年かけてようやく条件を満たしたのだと思います。
この免状は、<一般社団法人丹足普及協会・千照館>による公式な技術認定です。この免状を得るためには継続的に稽古に参加し、かつ段級試験において所定の審査基準を満たすことが必要となります。世の中には色々な免状があると思いますが、我々のこの免状の重みは決して軽いものではないと思います。
とは言えども・・・
免状と言えど、一片の紙切れであるのも事実です。免状があるからと言って、就職が有利になったり、特別手当が出るようなことはおそらくないでしょうし、将来的に丹足が広く認知されて何らかの信用になる日が来るのは一つの目標ですが、それはこれからの話です。
ではどうして我々は今、こうして免状を授与しているのでしょうか。
私が思うに、今、皆さんが手にした免状には二つの価値があります。
この二つの価値についてお話ししましょう。
一つは自分自身について、一つは周りの人について、です。
免状を量る
まず自分自身の事について。
試験の時は皆さん、非常に緊張して丹足をされています。
普段の稽古とは全然違うピリッとした雰囲気の中、真剣な顔つきで丹足に挑まれています。
客観的に審査される。その日の出来栄えだけではなく、それまでの数か月、数年の努力を審査されるのが段級試験です。
「もうちょっと稽古に行っておけばよかった。」
「丹練さぼるんじゃなかった。」
「精一杯やっているけれども、稽古の時に言われた課題がまだ克服できていない。」
「準備は万全だったけれど、緊張して今日は体の動きが悪い。」
様々な思いが去来しながら、それでも無心に丹足に向き合おうという真剣勝負のひと時、それが試験だと思います。
その結果としての免状です。
今皆さんが手にされている免状にどれだけの価値をつけることができるか。
私達審査官が付けられる価値は、「3級」とか「6級」とかいう数字だけです。しかし免状は数字だけれはない。その証拠に、喜びに満ちた3級もあれば、悔しさに満ちた3級もある。
数字は同じでも、そこに違う価値を感じとる。
その価値こそが本当の価値であって、その価値をつくるのは、これまでの皆さんの生き方なのですね。
その免状は重いでしょうか。軽いでしょうか。
免状に向き合い、その価値をじっくりと量ってみてください。
そして今後の生き方を考えてみてください。
そうすればこの免状に新しい価値が芽生えます。
客席から舞台へ
もう一つ、周りの人の事について。
先日、私の妻がじじばばやパパママを率いてゴスペルコンテストに出演したんですね。そして見事に審査員特別賞を受賞したのですが、指揮をしながら妻がとても印象に残ったことがあるというのです。
それは何かといいますと、客席でパパやママや、おじいちゃんおばあちゃんを応援していた子供達がすごく興奮して一生懸命応援していた光景だったそうです。
そりゃあそうですよね。
いつもは運動会や音楽祭などで舞台に上がるのは子供、大人は客席でがんばれーって応援ばかりするものと決まっているのに、逆の立場になったのですから。
大人というのは生き上手ですから、しれーっと舞台から客席に移動しようとします。客席から、「がんばれー」とか「へたくそー」とか応援やヤジを飛ばす専門になろうとします。
評価されるよりする方が傷つかないで済みますからね。
だから私はよく言うのです。
「客席で批評ばかりしていないで、グランドでプレーしようよ。」
と。
さあ、次にむかおう。
どうぞお子さん、お孫さん、甥っ子、姪っ子さんがいる人は、この免状を見せてあげてください。周りの大人にも見せてあげてください。
大人だって頑張っているよ。私ちゃんと舞台にあがって頑張っているよ、ってことを話してあげてください。
それはもしかしたら、今客席にいる大人たちへの励みになるかもしれないし、子たちが大きくなった時に「逃げないで頑張ろう。」っていう気持ちを支えてくれる大事な思い出になるかもしれません。
最期になりましたが、皆さんおめでとうございました。
しかし、もう次の試験に向かって走っています。
さらに重みのある免状となるように、日々丹練しましょう。
師範 三宅弘晃
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