苦手にこそ挑むべし
大阪のおばちゃん
私が整体院を開業するとき、一番気になったのは、女性のお客さんにどう対応するかだった。
私は昔から女性にどう接していいのかわからず悩むことがあったが、特に「大阪のおばちゃん」に苦手意識があった。若い女性も難しいが、大阪のおばちゃんの弾丸トークについていけないことが一つの悩みだった。
整体というのは相手を好きにならなくてはならない、というのが私の信条だが、にーちゃんやおっちゃんは好きになりやすいけれど、ねーちゃんもちょっと難しいけれど、大阪のおばちゃんは馴染みが無かった分だけ、なかなか手ごわかった。
でも開業したらそんなことは言ってられない。何しろ予想に反してOLさんやおばちゃんなど女性ばかりがやって来たのだから。「男性も来て良いんですか?」と聞かれることしばしばなほどに、ほとんど女性だったのだから、四の五の言わず相手を理解して好きになる努力をするだけだった。
結局、今では大阪のおばちゃんは大好きになった。笑
苦手が多すぎて
私は元来不器用で、苦手なものがあまりにも多い。何でもすぐに要領を掴んで器用にこなす人を見て、羨ましいため息を漏らす人生を送ってきている。それは今でも同じだ。
苦手なものを一つ一つ、地べたを這うように不器用に練習してじわじわと克服していく。もうそういうやり方しか自分にはないんだろうと諦めている。
歌もそうだ。自他ともに認める音痴人生を歩んできたが、妻がゴスペル教室を始めるというので7年ほど歌に挑んだ。仕事が終わったら毎日欠かさず屋上で、発声練習、そして曲の練習。他のビルテナントの人に「今日もよく聴こえてましたよ」と言われ恥ずかしい思いをしながらも、7年間必死で練習をした。それでもうまく歌えるところまではいかなかった。
修業というもの
私は弟子には苦手なことをさせるようにしている。
参尽はパソコンとミシンが苦手だというので、わごいちのミシン担当と、ブログ担当をさせた。「毎日欠かさずブログを更新しなさい。盆休みも正月も関係なく。」と厳命し、彼女は本当に四苦ハ苦しながら何年もブログ更新を続けた。
紙鳶は文章を書くのは苦手ではなかったが、彼女の文体はエッセイのような彼女独特の文体だった。そんな紙鳶にもブログを書かせ、「特に症例をちゃんと書けるようになりなさい。」と厳命した。客観的かつ専門的な文体が彼女はもっとも苦手だということを踏まえての試練を与えた。
目先の仕事効率を考えれば、それぞれ得意なことを分担すればいいのは間違いないだろうが、長いスパンで人間の成長を考えた時には、苦手に取り組まなくちゃいけない。得意なことをやっていても、人間は大して成長しない。
人前で話すこと
さて私の数ある苦手の中でも、最大の物の一つが「大勢の人前で話す」ということだった。
施術の際に一人の人を相手に話すには何の苦も無いのに、それが多人数になると途端にどうしていいか分からなくなる。例えるなら、百発百中のスナイパーが、一人で100人の敵に立ち向かうようなそんな感覚に近いかもしれない。どこに照準を合わせればいいのかがわからない。
しかも個人相手ならどんどん会話を掘り下げていけるが、多人数相手では掘り下げるという私の強みが活かせない。今だからこそ告白するが、三宅式整体塾や旧千照館で塾生たちの前で話すのも本当に苦手だった。どう話したらいいのか、実は全くわからなかった。大勢の人前で話すことは苦手を超えて大嫌いだった。
講演会をして欲しいという声
講演会をしたい、というよりもしなくては、という流れはずっとあった。
わごいちに通う人、千照館に通う人は、私が言っていることを理解してそれを実践している。例えば朝御飯を抜くこと、砂糖や油ものの摂取を極力減らすこと、毎日水シャワーを浴びること、四股を踏むことなどなど、、、
なぜそれが必要なのか。それをすればどういう効果を得られるのかということを、私に触れた人は理解する。しかしその人たちが、家に帰り、会社に行き、世間に戻ると周りの人とのギャップに悩むことになる。
例えば食べ物で言えば、甲田光雄先生が喝破された通り、今の飽食社会に必要なのは「マイナスの栄養学」なのだ。食べ過ぎて栄養過多で人は病気になっているのに、いまだにテレビやネットの健康情報は「あれをたべよ」「これは体に良いから食べよ」と言った「プラスの栄養学」が蔓延している。
これでは私が推奨する「朝ごはん抜き」が周りの人の理解を得られないのも当然であろう。
そういう状況に悩む人たちから、「先生のお話をもっと世間の人に伝えて欲しい」という声は昔からずっと上がっている。わたしにわごいちや千照館の中だけでなく、外に出て話をせよというのだ。
わかっている。わかっているよ。でも私は人前で話すのが本当に苦手なのだ。嫌なんだ。
ふんぎり
迷うこと数年、ようやく私は「講演会をやる」と決意することになった。
皆さんの声に加えて、妻の声も私を後押しした。妻は妊娠してから、娘が生まれ、成長していく中で、世間とのギャップに苦労している話をよく聞かせてくれた。まだ1歳にならない子どもをつれてハンバーガーショップに集い、ジュースやアイスを子供に食べさせるママ社会の現実。そしてアトピーやアレルギーや発達障害に苦しむ子供の話。
玄米を食べ、駄菓子は基本的に与えない我が家の育児は圧倒的少数派で、ママ社会の中でお付き合いのバランスを取る妻の苦労は並大抵ではなかったようだ。そんな話を聞くにつけ、誰かが言わなくては。声を上げなくては。嫌われ者になってでも言わなくては。そう思うようになっていった。
最終的には、これは自分の修業なんだと思い至った。苦手なことに挑むのが修業じゃないか。やろう、やってやろう。どうせやるなら存分にやってやろう。それならまずは東京からだな。
ようやく踏ん切りを付けた。
これはプレ講演会という名の、(私の為の)練習会。人生初めての講演会をまずわごいちで行った。何を話したのかもう覚えていない。
そしていよいよ、東京本番。
「東京アシスト」という、関東在住の有志の皆さんがチームを組んで、私の講演会の運営をして下さった。毎回約10名の手厚いサポートを頂いた。
日本橋のお洒落なビル「コレド室町」のなかにある「橋楽亭」という豪華な和室空間。ここで講演をする。この私が。。。
受付チケットも東京アシストの皆さんが用意してくれた。
講演会の題名は「お腹元気ばなし」。講演会の後には10分間(6千円)のハラ揉み施術。大阪以外で始めてわごいちのハラ揉みを受けられる機会とあって、予約枠は毎回すぐに埋まった。
いくつか当日の様子を写真でご紹介する。
こうして私の挑戦は無事に大盛況で終了した。
東京アシストチームをはじめとした多くの人たちの助けを得て、なんとか大勢の人前で話すという苦手に立ち向かうことが出来た。
その後も講演会活動は続いた。(以下年表)
●2015年
・9/22 東京講演会@日本橋・コレド室町
・11/22 東京講演会@日本橋・コレド室町
●2016年
・1/20 大阪講演会@小阪 (主催「KOSAKAママラボ」さん)
・1/27 大阪講演会@吹田
・2/11 東京講演会@日本橋・コレド室町
・3/31 熊本講演会@水俣・福田農場(共催「ママそらくまもとFBページ」さん)
・4/24 東京講演会”総集編”@日本橋コレド室町
・6/25 大阪講演会@本町
・8/21 大阪講演会@八尾
・9/19 東京講演会@練馬
1年間で計10回の講演会。北は東京から、南は熊本まで。数百人の人が私の「お腹元気ばなし」を聞いてくれたことになる。
元々は、私のような考え方を広く社会に発信して欲しいという皆さんからの要望であったが、私にとっては「苦手の克服」という修行の一面も色濃い活動だった。
苦手に粘り強く取り組む。それも及び腰、逃げ腰じゃなくて、絶対に乗り越えてやるという精神力を培いながら、どうやったらそれを克服できるかを工夫する。その過程のなかでこそ己の再発見があり、己の成長があるんじゃないだろうか。
これからの講演会活動は
年表の通り、私の講演会活動は2016年9月で一旦休止している。依頼があればいつでもやろうとは思っているが、今は私から積極的に動こうという気になっていない。
多分、まず「人前で話すのが苦手」については最低ラインはクリアしたという感覚と同時に、次のラインに向けて一旦熟成期間が必要だという感覚があるからだと思う。
そして千照館の協会活動に相当な時間とエネルギーを費やしているのも大きいと思う。広い意味では、わごいちも、お腹元気ばなしも、千照館も目指すところは一緒である。それはつまり「ハラが中心」というものだ。
ハラを忘れた現代人にハラの大切さを伝えていく。この私の役割を果たすための手段が、ハラ揉みであり、丹足であり、お腹元気ばなしであり、本であり、ウエブでの情報発信であるのだ。
手段は何だっていい。その時その時に最適と思われる手段をとればいい。だから私はまた講演会をすると思うし、その時はまた人前で話すという修業が再開される。講演会は私に大事な修行となってくれている。本当に幸せだなとおもう。
また話す機会があれば、私が怖気づくほど沢山の人に来てもらいたい。
丹足創始者
三宅弘晃
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