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揉道2.誰も通らない道

春の山歩き

桜が咲き始めの山に入った。

 

「古里に行くが一緒に来るか」と弟子たちに訊いたら二人とも行くと言う。

 

 

 

青春時代に辿った道を逆行する。

 

当時から人通りはまばらだったが、さらに寂れていた。道中他に誰にも出会わなかった。

 

 

 

途中に2回分かれ道がある。舗装道路か山道を選ばなくてはならない。せっかく来たのだから山道を行きたい。しかし山道の入り口にはこんな看板が。

 

 

<この先ハイキングコース通行止め。落石・土砂崩れ・斜面崩落等による事故が発生しても一切責任を負いません>

 

 

 

 

さあどうする。

 

 

 

 

 

 

 

我々は山道を選んだ。

 

 

 

さすがに水は美しかった。

倒木がふさぐ斜面を一生懸命ついてくる、大阪の街育ちの二人。

 

 

 

誰も通らない道。

 

放置された倒木で道がふさがれていた。道が風化して無くなりかけていた。毎年の夏休みに父に連れられてアルプスを登っていた経験が無かったら、きっと迷っていただろう。

 

 

 

二つ目の分岐点がやってきた。

 

「どうする」と訊くと「せっかくだから山道に行きましょう。」と言う。もとより「迷ったらGO!」が信条の私であるが、さすがにこの道の険しさに「ほんまかいな。大丈夫か。」と訊くと、「院長先生と一緒じゃないと行けないから。」と言う。

 

 

 

 

完全に道をふさがれた。

 

斜面を登って迂回路を偵察。

 

 

「あかん、引き返そう。」

 

今の我々に乗り越えられる道ではないと判断した。

 

まず挑んでみる。無理なら別の道をいく。

 

 

 

 

 

これは、我々の挑み方。

 

 

 

さすがに未整備の道。誰も通らない道。途中落石があった時はヒヤリとしながら、都会には無い景色と無人感に包まれ。山の春の訪れを心ゆくまで楽しんだ。

 

 

 

「一緒じゃないと行けませんから」と、いつも二人はせっかくの休みに私についてくる。

 

前にこの道を辿った青年時代の私には、ついてくる人間など一人も居なかった。今は家族と二人、それ以外にも沢山の人がついてくる。

 

いつからそうなったのだろう。この30年ほどで私はどう変わったのだろう。

 

 

 

 

 

長いようで短い道を踏み越えて、ようやく目的地。

 

原点に帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

丹足創始者 

三宅弘晃

 

 

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