我ながら恥も知らず長々と書いてきたものだと思う。ここまでお付き合い下さった皆さんに感謝します。
この揉道連載は、もともと丹足の成り立ちを創始者である私の半生と絡め見ることで、丹足への興味や意欲向上の助けになるのではないか、そんな意見もあり始めたものです。その目的はいくらかでも達せられたでしょうか。
しかしつらつらと書いていくと、私の中で、丹足という枠を超えて、ある種の人たちを想定して書いているような気がしてきたのです。このある種の人たちとは、当時の私と同じように、大人社会に悲観し悩む中高生たちのことです。
今自分自身が大人になって何が悲しいかと言えば、「将来に希望が持てない」という若者の声。こんなに悔しいことは滅多にないと言ってもいい。(そうは思わない?大人たち。)
したい仕事がない。できれば働きたくない。なるべく楽な仕事がしたい。理想の家庭像などない。お父さんやお母さんのようになりたくはない。そんな声を聴く度に、心の通知簿に「大人失格」の烙印を押されたような気になる。「今の社会に希望を持たせられなくてごめん」と言いそうになってしまう。
だからこそ、大人には子供たちに誇れる背中を持とうぜと言っているし、子供には、何が何でも人生に夢を作り続けるんだよと言いたい。そういう気持ちを込めて書いてきたのです。
大人は子供たちに憧れられる人生を生きなくちゃならない。ガミガミお説教ではなく、背中で子ども達をけん引していかなくちゃならない。そして子ども達がいつか大人になり、また次の子供たちをけん引していく。そういう時代の繋がりでないと、何をどうやろうが社会が良くなるはずがないよね。
大人は大人で頑張ろう。
子供は子供で頑張ろう。
人生を割り切っちゃあだめだ。
自分の人生を求め続け、作り続けていくんだ。
それが生きていく喜びだからね。
揉道 完
丹足創始者
三宅弘晃
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